1960年代の若者文化と和服の位置|Between Wear

1960年代の若者文化と和服の位置

1960年代は、ファッションが大きく変化した時代です。

1950年代に戦後の暮らしが少しずつ整い、洋服が日常着として広がっていったあと、1960年代には、服が単に生活のためのものではなく、世代や価値観を表すものとして見られるようになっていきました。

西洋では、若者文化がファッションを動かす大きな力になります。日本でも、アイビールックやみゆき族など、若者の装いが注目されるようになりました。

その一方で、和服もまたその役割を変えていきました。日常着としての和服から、節目や改まった場面で選ばれる和服へ。1960年代は、洋服が若者文化と結びついて広がる一方で、和服の位置づけも変わっていった時代でした。

西洋の1960年代ファッション

1960年代の西洋ファッションを考えるうえで重要なのは、若者文化の広がりです。

それ以前のファッションは、オートクチュールや上流階級の装い、大人の女性像を中心に語られることが多くありました。1960年代には、若い世代の感覚や街の空気がファッションに大きく影響するようになります。

若者文化がファッションを動かす

象徴的なものの一つが、ミニスカートです。

膝上丈のスカートは、1960年代を代表するスタイルとして知られています。短い丈そのものだけでなく、そこには若い世代の自由さや、従来の服装規範から離れようとする気分が表れていました。

また、ロンドンを中心に広がったモッズスタイルも、1960年代らしい動きの一つです。

細身のスーツ、ミニ丈のワンピース、ブーツ、幾何学的な柄、シャープなシルエット。音楽やクラブカルチャーとも結びつきながら、ファッションはより軽やかで、スピード感のあるものになっていきました。

モダンな装いから、多様なスタイルへ

1960年代後半には、ヒッピー的な装いや、民族衣装への関心、長いスカート、刺繍、自然素材へのまなざしも広がっていきます。

前半の都会的でモダンなスタイルから、後半にはより自由で多様な装いへと関心が移っていきました。

1960年代の西洋ファッションは、一つの流行だけで語ることはできません。ただ共通しているのは、服が大人のルールから少し離れ、若者自身の感覚で選ばれるようになっていったことです。

日本の1960年代ファッション

日本でも、1960年代は若者の服装が注目される時代でした。

1950年代に洋服が日常へ広がったあと、1960年代には、洋服をどのように着るかが世代の感覚と結びついていきます。

アイビールックとみゆき族

代表的なものの一つが、アイビールックです。

ボタンダウンシャツ、三つボタンのジャケット、コットンパンツ、ローファー。アメリカ東部の学生文化に由来する装いは、日本の若者の間でも広がっていきました。

特に男性ファッションにおいて、アイビールックはそれまでの学生服や背広とは違う、新しい若者の服として受け止められていきます。

銀座のみゆき通りに集まった若者たちは、みゆき族とも呼ばれました。彼らの装いは、服が流行としてだけでなく、若い世代の集まり方や都市の風景と結びついていたことを示しています。

都市生活とメディアが広げたファッション

1964年の東京オリンピックを前後して、日本の都市生活や消費文化はさらに変化していきます。

百貨店、雑誌、映画、テレビ、ブランド、既製服。さまざまなメディアや商品を通して、ファッションはより身近なものになっていきました。

1960年代の日本における洋服は、単なる西洋文化の模倣ではありません。海外の流行を取り入れながら、日本の都市生活や若者文化の中で、独自の受け止められ方をしていきました。

若者文化とファッション

1960年代の大きな特徴は、若者がファッションの中心に近づいていったことです。

それまでの服は、大人の社会にどう適応するか、どの場面にふさわしいか、という考え方が強くありました。もちろん1960年代にも、礼装や職業服、学校や会社の服装規範は存在します。

服が世代の感覚を表すようになる

若い世代は、服を通して自分たちの感覚を表すようになっていきました。

音楽を聴くこと、映画を見ること、街に集まること、雑誌を読むこと、同じスタイルを共有すること。そうした行動とファッションが結びつき、服は単なる身支度ではなく、文化の一部になっていきます。

1960年代の若者ファッションは、現在のストリートファッションやブランド文化にもつながる流れの一つといえます。

服は、どこかから与えられるものではなく、自分たちで選び、組み合わせ、意味を持たせるものになっていきました。

1960年代の和服の位置

同じ1960年代、和服の位置づけも変化していきます。

和服が急になくなったわけではありません。家庭の中、地域の暮らし、年配の世代、冠婚葬祭、習い事、祭りなど、和服が着られる場面は残っていました。

生活着から、節目や改まった場面の服へ

都市生活や学校、職場、若者文化の中心には、洋服がより深く入り込んでいきます。

1950年代までの和服には、生活着としての側面がまだ残っていました。しかし1960年代以降になると、日常的に着る服としては洋服が広がり、和服は節目や改まった場面で選ばれる服としての性格を強めていきます。

成人式、結婚式、初詣、茶会、七五三、習い事や行事。こうした場面で、和服は特別な意味を持つ服として残っていきました。

毎日着る服から、場面を選んで着る服へ。生活着から、盛装や正装としての服へ。1960年代の和服は、若者文化の中心にあった洋服とは異なる場所で、同じ時代の変化を受け止めていました。

着物にもあった、同時代の変化

1960年代の和服は、過去からそのまま残っていたわけではありません。

戦後の復興から高度経済成長へ向かう中で、着物にも新しい色柄や素材、販売のあり方が生まれていきました。

暮らしが豊かになり、着物を買うことや持つことが、人生の節目や家族の記憶と結びつくようになります。和服は、日常で頻繁に着る服ではなくなっていく一方で、所有すること、誂えること、特別な場面で着ることに意味を持つようになっていきました。

素材を選ぶこと、柄を選ぶこと、帯や羽織を合わせること、場面に合わせて装いを整えること。

和服は人生の節目や改まった場面で、その人や家族の記憶を表す服として意味を深めていきました。

1960年代の服が示しているもの

1960年代は、服が世代や価値観と強く結びついていった時代でした。

西洋では、ミニスカートやモッズ、ヒッピー的な装いなどを通して、若者の感覚がファッションに反映されるようになります。日本でも、アイビールックやみゆき族など、若者の装いが都市の風景と結びついていきました。

日常に広がる服と、意味を深める服

一方で、和服は日常の中心から少しずつ離れながら、成人式や結婚式、初詣、茶会、七五三など、節目や改まった場面で着る服としての性格を強めていきます。

同じ1960年代の中で、洋服は若者文化や都市生活と結びつき、和服は人生の節目や格式のある場面と結びついていきました。

日常に広がった服と、特別な場面での意味を深めた服。

1960年代のファッションを見ることは、洋服と和服がそれぞれの場所で、どのように時代と関わっていたのかを考える手がかりになります。

WEAR-2.5について

WEAR-2.5は「和服の考究と更新」をコンセプトに、ファッションとしての着物をつくるブランド。

補正具も、着付けの知識も必要としない、洋服とのスタイリングを前提とした着物。

過去の文化にしないための、これからの着物の在り方を考察します。

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